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灼眼のシャナ 22巻 感想

2011年10月08日
 シャナぁああああああああ!!


灼眼のシャナ22巻。ついに完結しました。かっこよく言うのであれば・・一つの時代の終わりですね。今でこそ、ラノベ原作のアニメとか漫画とか良くありますけど、私がそういったものに触れるきっかけになったのはシャナとかゼロ魔なんですね。良くも悪くもラノベというジャンルの先駆者。ついに終わっちゃいましたか・・。ちょっと寂しいですね。

では少し感想とかを・・。


 以下read moreより。ネタバレ大いに含みます。

 さて・・ゆっくり感想を書いていこうかと。


 シャナらフレイムヘイズの目的は祭礼の蛇の目的そのものを叩くものかと思っていましたが、そうではなかったようです。確かに新世界創造にて、徒が現世にいなくなれば人は守れますからね。そのあたりは順当かなぁと。ただし、向こうの世界で人を喰らうことが出来ないよう、楽園に制限を付け足そうと目論んでいました。

 悠二自身はこのあたりをどう思っていたんでしょうか?もともと創造神が展開していた自在式にはその旨は記載されていなかったようです。人を食べることは出来ないという理を付けたしたことで大命詩編が改変されたことからも明らか。存在の力が無限に溢れているとはいえ・・徒は人を喰らうことが出来るという事実。まぁ、創造神は徒が自由に存在でき、何でも出来る世界を作ろうとしてましたから、その自由の範疇に人を喰うということが含まれていたのでしょう。

 悠二の考え方はわかりませんが、たとえ平行世界でも人を喰うという行為に嫌悪はあったでしょう。まず現世の人間を守ることを優先して、楽園で徒に人を喰うなと説いてまわるつもりだったのでしょうか。うん、そうするつもりだったんでしょうね。何千年かかっても。

 そしてずっと気になっていた坂井悠二の願い。それは存在を失くしてしまった平井ゆかりを元に戻すこと。ただ死んだだけなら生き返らせることなんて出来ないが、いくつかの偶然が重なって、街全体の失った人も含めて調律に成功します。偶然の一つに、御崎市に存在の力が有り余っていること。二つにラミーから失ったものを元に戻す自在式をもらったこと。三つに吉田一美が以前調律を行ったこと。などなど・・。

 そんな偶然が重なった御崎市だけ戻すことが出来たんでしょうね。他の地域はどうでもいいのか?という根源的な疑問は残りますが・・

 さて、そんなこんなで元に戻った御崎市。ただし現状トーチのままの坂井悠二には適用されずトーチのまま。そしてシャナと共に無何有鏡に旅立ちます。このときの悠二は・・宝具を宿したトーチ?それとも宝具を宿した人?なんかこのあたりがちょっと気になります。

 アジュールに組み込まれたラミーの自在式がシャナとのキスで発動。キスとかなんて羨ま・・まぁそれは置いておきましょう。これで何だか人に戻ったような言い方を悠二はしています。ただ、去るときに欠けたまま去った少年と・・とか存在を失ったままであるかのような表現があります。実に不思議。わからない・・。

 捕らえ方は色々あるかとは思いますけど、自在法により人に戻ったことで関係者との繋がりは戻った。が再びこの世から去ったので記憶はなくなったという考え方。ですが、この考え方だと欠けたまま去ったという言い方とちょっと合いませんね。欠けたまま去ったということは去る直前も欠けていたということ。つまり人に戻ったけど繋がりは戻らなかった?・・いやいやそれだとシャナが監禁から帰ってきた際、千草らと関係がすぐ戻ったのもおかしい?

 んー・・やはりわからない。


ま、2人が幸せそうでなによりでした。せめて田中とかに挨拶して旅立てばいいものを・・とか思ったりしないでもないです。なんてったって間違いなく今生の別れだぜ?間違いなく二度と会えないんだぜ?それをあんなあっさり・・さらっと・・。


 個人的にはまぁ面白かったでしょう。あの終盤でシュドナイは現世から消失したが、神の眷族であるため死ぬことは出来ず、また紅世?でヘカテーとまた会えた。良かったなぁシュドナイ。ヘカテーと相思相愛みたいだし。なんて羨ましい


 さて、次は外伝。それが本当のラストのようです。

それでは今回はこのあたりで


灼眼のシャナに乾杯!
ライトノベル | Comments(2) | Trackback(0)
Comment
ラミーはアズュールに刻まれてる「転生の自在式」をキスで起動するようにお膳立てしたんですよ

1巻でフリアグネが燐子のマリアンヌと永遠に生きるために使う転生の自在式を、
アズュールから使っているシーンを覚えていないと分からないでしょうがw

転生の自在式の効果は存在の力の消耗無しに存在できるように存在を組み換える効果で、
悠二は基本的にはトーチのままで失われた絆も戻りませんが、
それまでのように時間とともに消耗していく儚い存在ではなくなりました。
シャナやゼロ魔は先駆者とは言い難いと思いますよ。あと、悠二が目指していたのは人を喰わないことではなく、人とともがらの融和です。
餌であった人間を共に生きる存在と認識させたかったんでしょうね。
最後に、悠二は人間になっていませんよ。むしろともがらでしょう。でなければシャナと歩むなど不可能(特に寿命的な問題で)ですし。

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